英会話(名古屋・金山) BRIDGE - Discovery(5章)


Discovery

序章 第1章 第2章 第3章 第4章 第5章 第6章 第7章 第8章 第9章 第10章 第11章 第12章
第5章   〜ガンガーと共に生きる〜
「で、やっぱり人生観は変わるの?」

インドに行った、と言うと、8割近くの人にこう問われる。簡単には答えられない、難しい問題である。しかし、あの地に身を置いて何も感じない人などいるのだろうか、とさえ私は思う。

『8月14日:一睡もできなかった。火葬場、死体を運ぶ行列、ガンガー(ガンジス河)に流される死の灰、火葬されずに流され、河に浮いていた子供の死体。道は人、牛、車、リクシャー(人力車)、ヤギ、犬、猿……、でごった返している。1つの路上に見る様々な生活様式。カーストはまだ根強く残っている。天と地ほどの貧富の差。全くの別世界。路上で寝起きする人々、トイレ程の広さの家(小屋)に住む人々、必死に観光客をつかまえて家計を助ける子供たち……(中略)。死は誰にも平等に訪れる。1つの業を終え、ガンガーへ戻される。死は終わりではない。きっと、始まりなのだ』
当時の旅日記から引用してみた。

私がヴァーラナシー(ベナレス)へやって来たのは、日本を発って2週間した頃だった。インドではどの町もが印象深かったが、この町ほど、視覚だけでなく、嗅覚に訴えた町はない。ごった返す人々の脂汗、路地で売られるスパイスや野菜、南国の果物、あらゆる食物、花、動物や人々の排泄物、砂埃、燃え上がる死体……、生活で発するありとあらゆる匂いがいっしょくたになって、鼻孔をくぐり抜ける。私はこの匂いに圧倒されながら、ガンガーを目指した。

ガンガーの西岸には、大小80ものガートが連なっている。ガートは、岸辺から階段になって河水に没している堤で、沐浴場として使われている。中には火葬場として使われているものもある。ヴァーラナシーでは、1日100体とも200体ともいわれる死体が焼かれる。ここで沐浴し、死後、灰となった骨をガンガーに流せば、すべての罪を許され、輪廻から解脱できる、と信じられているからだ。この町で死を待つ人々もいる。遠くの村から親族の遺体を運んでくる人々もいる。

火葬場が近づくにつれ、煙と異臭が私を襲った。引き返そう、と何度もためらったが、私の足は思考に反して、火葬場に近づこうとする。布に包まれた遺体は親族によって担がれ、狭い路地を抜けてここへやってくる。布や装飾品のありかたで現世での階級が見え隠れしている。布のみで包まれたものは、明らかに人間と分かる形をしている。組まれた薪の上で、2時間から3時間、聖なる火がその姿を燃やしていく。火葬されていた3体のうち1体が、最後の炎を燃やし、灰となった骨に水がかけられた。ジューッという音がして、最後のか細い煙を上げた。

灰はガンガーに流され、その河で人々は沐浴する。洗濯をする。顔を洗い、指で歯磨きをする。牛が排尿する。すべての人間の営みを呑みこみ、そしてまた、それらを超越して、静かに流れているようだ。大河はやがて海へ注ぎ、天に戻って再びすべての源となって、生命を育む。そして、生命は再び大河に返される。始まりもなく、終わりもない、永遠の時の回転を一瞬にして見たような気がした。

死の色が濃いぶん、この町の生はさらに鮮烈だ。祈りの声、物売りのわめき声、怒声に子供の泣き声、猿の鳴き声、牛のあくび、自転車の車輪のきしみ、自動車のエンジン、カチャカチャと音を響かせる金属食器、どこからともなく聞こえてくる鐘の音、ありとあらゆ生活音に鼓膜を刺激される。生と死が剥き出しのまま共存している。

ヴァーラナシーを発つ日の早朝、私は再びガンガーを訪れた。コーヒー牛乳色のガンガーにボートを浮かべ、朝日を浴びて沐浴する人々の姿をもう1度目に焼き付けておきたかった。現世での差別を離れ、一様に聖河に浸り、祈りを捧げる人々。ありとあらゆるものを呑みこみ、音もたてずに流れるガンガー。全ての始まりで、全ての終着点。人間とは何か、生とは、死とは、家族とは、世界とは、宇宙とは、全ての答えがそこにあるような気がした。


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